青かもしれない五月

よくたどり着いたな

ふるぎのこうさつ

 

 

町田の古着屋で夏服を買った

ご時世的にも多分この夏は外に出ないので誰かに見せるわけではないしひっそりと静かに着ることになると思う

 

 

僕がオシャレかはさておき、一般的な価値観として古着ってオシャレのステータスとして付加価値をもたらすものになっている気がする

 

のでなにがオシャレなのかちょっと考えてみた

 

 

まず一つ

ファッションの中に古着という選択肢が入っていること自体がオシャレに理解のある人であることを示すものになってる説

 

多分だけど服に興味ない人ってユニクロとかGUとかはたまたデパートに入ってるよくわからん服屋とかで服を買ってることが大半だと思う

わざわざ誰かが過去に来ていた服でもデザインがオシャレだからファッションに取り入れようなんて発想は持たない

僕も普通にそういう店で服買ったりするし、バイト先でいろいろな服を見るけど特段そういった大衆向けのお店の品物が低品質だとはあまり思わない(流石にシルエット、手触りなどは高級品のほうが優れているしちょっと触っただけで差が歴然ではある)

 

だから、オシャレに興味がありファッションに対する視野を広く持っていることの指標として「古着を着ている」というステータスはあるんじゃないかなと思う

 

 

 二つ

着る人がそれをオシャレと断じて疑ってないから説

 

古着屋に行くと「いやそれ誰が着るん」みたいな服って割とある

そりゃそうだ過去のトレンドがそのまま形として残ってるんだから現代の価値観からしてだせぇもんはだせぇ

でも古着を着てる人ってそういうダサさを一周回らせてオシャレとして着こなしている

 持論だけどオシャレって自信があることが一番大事だから、一般人の価値観からするとバケモノ展示会と化しているパリコレもオシャレの極致として成り立っているし多分同じ感じで一見ダサい古着もそれっぽい人がそれっぽく着ることでオシャレになってるんじゃないだろうか

 

 

古着を着る人は特にこれが顕著な気がする

 

 

 

三つ

流行とニーズにマッチしてる説

 

近年はファストファッションが主流でトレンドが巡るめく更新されていくから、比較的安価に手に入る古着はそのニーズに沿っていたりする

もちろん高級品だったであろう古着が品質が保たれたまま高値で売られてる場合もあるしそれはそれで味があっていいと思うけど、流行に敏感な若者からすると安く手に入るってのはそれだけでメリットなはず

 

二つ目の説と矛盾しちゃうけど、過去のトレンドが再来して今オシャレとして流行りつつあるからそういう点でも古着って存在自体がいいポジションにあると思う

 

 

以上!

 

ちなみに僕はファッションの視野が広いわけではない(むしろ偏っている)し流行よりも自分が好きな恰好がしたいのであんまり上記の説には当てはまらないです

オシャレだとして疑わずに古着を着てる部分に関しては、それはそう。その通りだと思う。

 

 

 

 

普通の服を着ないことで有名な僕が古着についていろいろ考えてみました

色々喋ったけど結論からするとやっぱり新品のスーツでパリッとしたシャツ着てネクタイ締めてるのが一番かっこいいんじゃないかなって思います