青かもしれない五月

よくたどり着いたな

絶望文学

 

 

最近本を読んでいる

といってもそんなに頻繁に読んでいるわけではなくて、気が向いたときに百から二百ページほど一気に読んで、またしばらく放置。月に二冊読めばいいほうだと思う。

アニメとかを見るときに引用される文章の元ネタを知っていたらもっと作品を楽しめるかなと思ってサリンジャーライ麦畑で捕まえてを手始めに読み始めた

文学部だから本を読んでいるわけではないし、賢くなりたいのなら論語とか経済学の本とかを読む。それに、別に本を読んでいるからと言って賢いわけではない。少なくとも僕は賢くないと思う。まだ賢くなれるほど本を読んでいないだけかもしれないけど。

 

 

まぁとにかく最近本を読むようになった僕が密かに文学性を感じているものがある

 

 

「おじさんが若い女の子に送る絵文字とカタカナ、句読点の織り交じったLINE」である

 

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↑こういうの

 

ちなみにこれは おじさん文章ジェネレーター(https://oji.netlify.app/)というサイトで生成した文章をコピペして僕が自分のLINEのメモ用トークに送ったもの

僕が考えたわけではないしこのキモい文章が送り付けられた人もいないので安心してほしい

 

 

話は少し飛躍するが優れた芸術作品とは人の心を動かすものであると思う。僕が描いた絵よりもピカソの絵が評価されているのはそれがより多くの人の感情を掻き立てたからといって差し支えはないだろう。

絵画に限らず、音楽も文学も他の芸術作品も、評価されてきたものはみな人の心を動かす力を持っている

言ってしまえばたかだか絵具、もしくは空気の振動、はたまた文字の羅列である作品と呼ばれる物体が人の心を動かすというのは実はすごいことなのだ

 

 

 

 

ここで「おじさんが若い女の子に送る絵文字とカタカナ、句読点の織り交じったLINE」を見返してみてほしい。

 

いやきっしょwwwwwwwwwwwww

 

そもそもおじさんがあまりにも若々しい文章を書くこと自体是とされない風潮もあるが、間違った解釈をした若者像から来ているであろう文章に時代の錯誤感が感じられ、更にはワンチャン狙おうとしている薄ら寒い性欲すらも透けて見えてしまっている。酷評に値する。

こんな文章を送ったらその人との関係なんてもう絶望しか待ち受けていない。

 

だがしかし、方向性はどうであれこういったLINEが僕の感情を動かしたことは紛れもない事実として存在しているはずである。

 

多分同じ文字数を使って誰かの感情を揺さぶってくださいと言われても僕はこれ以上に人の心を動かすことはできない、どころか何の感情も動かせずに終わると思う。

それに比べてこのLINEはどうだろうか。見た瞬間「うわきっつ」と思ったのではないだろうか。たかだか5行のメッセージ、原稿用紙に書けば3行もいかないほどの文章に我々の心は強く拒否反応を示したのである。

 

「おじさんが若い女の子に送る絵文字とカタカナ、句読点の織り交じったLINE」は非常に気持ちの悪い、なんならタチの悪いものではあるが、こと文学性においては素晴らしいポテンシャルを秘めている。立派な芸術作品だ。目を見張るものがある。あんまり目にはしたくないけどさ。

 

 

 

 

 

 

この文章は僕がまだ世間一般的な若者の立場にあり、若者の普通のLINEというものを感覚的に理解しているから書けるものであると思う。

彼らおじさんだってわざとキモい文章を送ろうとしているわけではなくて、彼らなりにふつうのLINEを送ろうとしたうえでこの絶望的なセンスが文学に顕現してしまったに過ぎない。

 

僕たちはいつまで彼らおじさんのLINEを笑っていられるのだろうか。もしかしたらもうその辺のJKからしたら随分おじさん臭いLINEを送っているのかもしれないし、なんなら普通の人にもわかるほどおじさんチックなLINEを送っているのかもしれない。

 

彼らのように送った相手を絶望へ引きずり込む文章、名付けるなら「絶望文学」の書き手となる前に、はたまた絶望文学の書き手から脱却するためにも、「最近の若者のことはよくわからない」と切り話して生活を送るのではなくしっかりと若者を理解する、ないし理解しようとする姿勢を持ち、そして身の程にあった文章を書けるようになっておくことが大事だと僕は考える。(説教おじさん)